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息抜きナギトリ小説
#ナギトリ

私だけを見て、なんて言えない

 柔らかな午後の日差しが降り注ぐサンルーム。私はお気に入りのソファで、世界で一番落ち着く場所に身を委ねていた。ナギの膝の上。彼が時折私の髪を梳く、優しい指の感触。ここにいると、私はひどく安心する。
でも、ふと、胸の奥が冷たくなることがある。

(この場所は、いつまで私のものなのかしら…)

 彼は「従者」だから、私のそばにいる。「許婚」だから、私のワガママを許してくれる。

では、もしそのどちらでもなかったとしたら? ナギ自身の気持ちは、一体どこにあるのだろう。その答えが分からないから、私は怖いのだ。
彼は、私の隣で静かに本を読んでいた。その横顔は真剣で、時折、興味深そうに目を細めている。
私の知らない、遠い地方の歴史。私の知らない、興味深い物語。

その事実に、私の胸の奥が、ずきりと痛んだ。
もし、ナギが、私よりもっと夢中になれるものを見つけてしまったら?
もし、この心地よい場所から立ち上がって、私の知らない世界へ、一人で行ってしまったら?
その想像は、私から血の気を奪うのに十分すぎる威力を持っていた。

(嫌よ、そんなの)

気づけば私は、彼の気を引くように、その服の袖をきゅっと掴んでいた。

「ねぇ、ナギ」
「はい、お嬢様」
「…その本と私、どっちが大事?」

なんて子供じみた、馬鹿な質問だろう。でも、そうせずにはいられなかった。彼の視線を、意識を、こちらに繋ぎ止めたくて。
ナギは一瞬、驚いたように少しだけ目を見開き、そして「お嬢様、何を…」と戸惑いの声を漏らした。
その反応に、私は不安をごまかすように、少しだけ意地悪な笑顔を作って見せる。

「もしその本に出てくるような、私よりもっと夢中になれる素敵な誰かさんが現れたら……ナギは、その人のところへ行ってしまうの?」

これは、私の精一杯の虚勢。本当の気持ちを隠して、彼の心を試すような、ずるくて、臆病なワガママ。
ナギは、私の甘えの裏にある不安の色を、敏感に感じ取ってくれたようだった。彼は読んでいた本を静かに閉じると、真っ直ぐに私を見つめて、はっきりと告げた。

「私の最優先は、常にお嬢様です」

その言葉に、胸のつかえが少しだけ下りる。ああ、よかった。彼の声は、いつだって私を安心させてくれる。
でも、心のどこかで、別の声がするのだ。

(それは、「従者」としての答えよね…?)

本当は、もっと聞きたいことがあるの。

『ナギのその優しさは、私だけのものにしてほしい』って。
『お願いだから、他の誰も、ナギのことを見つけないで』って。

そう叫んで、貴方を思いきり困らせてしまえたら、どんなにいいだろう。
でも、そんなこと、言えるはずがない。
臆病な私は、唇を噛み締めることしかできない。
もし、そんな見苦しい独占欲を露わにして、貴方に呆れられてしまったら? 優しい貴方に、軽蔑されてしまったら?
そう考えただけで、指先から血の気が引いていく。今のこの、心地よい関係さえも、失ってしまうかもしれないのだ。
結局、私にできるのは、心の中の叫びを全て飲み込んで、精一杯の笑顔を作ることだけ。

「…そう。なら、いいの」

私は、何でもないようにそう言って、彼の袖からそっと手を離した。
これ以上、踏み込めない。これが、私の限界。
ナギは、私が何か言いたげな顔をしていることに、きっと気づいているのだろう。その朱色の瞳が、逸らされることなく私を見つめている。けれど、私が何も言わないから、彼も何も聞けないでいる。

サンルームに、気まずいとも甘いとも言えない、もどかしい沈黙が流れる。
彼の気持ちを確かめきれないまま、私は逃げるように、再び彼の膝の上に頭を乗せた。この温もりだけが、今の私の、唯一の慰めだったから。

(結局、私は何も聞けない)

貴方の本当の気持ちも、この不安の正体も。
ただ、こうして貴方のそばにいることしかできない臆病な私を、貴方は一体どう思っているのかしら…。
近くて、果てしなく遠い、私たちの距離。
このもどかしさの答えを、私はいつか、見つけることができるのだろうか。
今はまだ、頬に伝わる彼の温度を感じながら、答えのない問いに揺れることしかできなかった。
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